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「わたし」が「かれ」でなかったのは「たまたま」じゃないのか(2)

ソーシャルワーク・タイムズ vol111 子連れソーシャルワーク留学 in カナダ vol.56

· 高齢者福祉,社会福祉制度

介護職員が入居者を落として逮捕された事件に関して、先週に引き続き自分の経験やインタビュー調査で聞いたことをもとに【感情労働と介護】について考えてみたいと思います。

以前「認知症介護は困難かー介護職員の行う感情労働に焦点をあててー」という、感情労働に関する論文を(修論で書いたものを抜粋して)書いたことがあります(※)。論文では介護職員の方々にインタビュー調査をさせていただき、認知症介護を行うスタッフのストレスや内面的な感情の部分に焦点をあてました。

その中で印象的だったことは、「介護の仕事は確かに感情労働で、色々な意味で大変」であるけれども、スタッフは「感情労働をしたい」とも思っているということでした。

感情労働は決してネガティブな面だけでなく、感情労働をすることが「よい介護」であり、それができる環境が「よい施設」であると捉えられていました。感情労働(自分の様々な感情を管理して業務に当たること)ができることや、それによってもたらされる結果が「やりがい」としても捉えられていました。

介護職がストレスが溜まるのは「感情労働をしなくちゃいけないこと」ではなく、自分の感情のコントロールを含めて「感情労働ができないこと」なのです。

では、感情労働が出来ない時はどんな時でしょうか。

介護福祉士のKさんは、こう教えてくれました。以下、論文を引用します。

【Kさんは夜勤などで人員に余裕がない時に、利用者に対応する様子を次のように語る。

『(一人で勤務する夜勤時に複数の利用者の「問題行動」が起こった場合)例えば 1 階にスタッフがいれば、脱走した人は『もういいわ。(1 階のスタッフが)連れてくるだろ』っておいといて。転倒があった場合『あぁ、転倒か。大丈夫か。 どれくらい?ああ、大丈夫だな』って、次(ナース)コール(を鳴らした人のところに)行って『お前はどうした?そうか、ちょっと待っとれ、ほいほい』ってそうやらないとだめ。』

K さんは、例えば「(夜勤)明けの疲れている時」などに介護職員に疲労が蓄積している時には精神的な余裕がなくなり、利用者の問題行動等があった場合「頭おかしくなりますよ。たまに。(利用者に対して)もー!って(なる)」と利用者に対する否定的な感情が誘発されやすいと述べる。】(引用おわり)

対人業務に就いている方は分かる部分があるかもしれませんが、人員不足、業務過多、疲労の蓄積等により職員に余裕がなくご利用者さんと十分に関わることができない環境は、質の高い介護という視点からはそれ自体が問題であるのに加えて、自分の感情のコントロールが難しくなりやすいという問題があります。そのような場合、ご利用者さんに対する否定的な感情(怒り、苛立ちなど)がわき上がりやすくなります。

このように環境的な要因が大きく関わっていますが、同時にインタビューでよく聞かれたことは「よい介護職」になるためには「個人の素質」が重要であり、それは(年齢などや結婚・子どもの有無などの)「個人的属性」や「個人的な経験」に基づき醸成されるという考え方です。

例えば「介護の仕事には向き不向き、適正がある」「若いとね…(我慢ができない、折れちゃう)」「結婚していると・子どもがいるとね…(柔軟になる・我慢できる)」等の語りがインタビューでもよく聞かれました。

さらに、仕事上での課題が個人的なものとして捉えられていたり、仕事でかかるストレスが個人的に解消されることが多いことも語られていました。これらが上手く解消されない場合「私は介護に向いてないかも」と「個人的」に捉え、離職につながっていきます。さらに最悪の場合、高齢者の方への暴言や暴力につながっていく可能性があると考えます。(続く)

※二木泉, 2010,『社会科学ジャーナル』(69) p89-118.

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