ストに出会って考えたこと(2)学ぶことの意味と権利

ソーシャルワーク・タイムズ vol63 子連れソーシャルワーク留学 in カナダ vol.10

· 大学院,組織論

先週よりトロント大学で2月末からTA(ティーチングアシスタント)がストライキを行っていることをご紹介しています。

建物の外では1ヶ月に渡りピケが張られており、地元では大きなニュースとして取り上げられています。TAが不在のことで、授業にも混乱が生じ始めています。組合側と大学側の双方の主張がビラやニュース等で伝えられ、ストに反対する学生と支持する学生との間で対立関係が生まれはじめています。学生の中には、建物の中に入る必要があるのにその度に抱える罪悪感、学校に対し母校の誇りを汚されたと感じる、何もできない自分に対する無力感、一連の混乱に対する怒り、勉強に身が入らないなど精神的な影響が出る人も出てきています。

トロント大学のソーシャルワークの大学院は一学年が120人と多く、5〜6人の教員がチームになって講義をするティームティーチングを実施しています。教員5人のうち3人がTAという授業では、組合員であるTAはストライキ中は仕事をしてはならないとされているため、2人の教授が120人の学生に対応しています。

先日の授業では、ピケットライン(ピケをはっている監視線)を越えないという選択をした学生は講義を休んだため、普段の2/3くらいの出席率でした。2人の教授も授業に来ないと決めた学生に対して協力的で、講義を録音し掲示板に投稿したり、課題はオンラインで提出することを可能にするなど、欠席してもなるべく不利益を被ることのないよう配慮をするとのことでした。

前半の講義が終わり教室移動の際、TAが廊下でサインを持ちながら座り込みを行っているのに遭遇しました。私を含め学生はこれを見て大きなショックを受けました。学生の多くはTAの組合の主張を支持していますが、授業に出たことでTAの主張を支持していない「スト破り」と批判されていると感じたからです。「組合からも授業に出るように言われているのに?」と混乱してしまった学生も多くいたようです。TAによくよく聞いてみると、貧困等を研究テーマとしている当該授業の教員に対するアピールだったとのこと。教員は大学の運営側とされているからです。(ただし、後で聞いたところによると、組合員が大学内部で座り込みを行うことは、ストライキ中の行為として禁止されているとのことでした。)

TA側は今回のストで何を主張しているのでしょうか。こちらのTAは一部の講義や採点などを担当し、大学運営に欠かせないものですが、大学院生は「大学の知的財産であり、学ぶことで大学に貢献している」という考え方が大きく影響しています。日本では大学院生は学費を払って「学ばせてもらう」存在ですが、こちらでは博士課程の学生になると、学費はほとんど払わず、むしろ奨学金の支払い額が多い学校に進学することが多いのです。このように博士課程の学生は、一定の教育活動(労働)を行うことで、学費が差し引かれた額の労働対価および奨学金が支払われます。それは人によって異なりますが、概ね1.5万ドル(135万円)以上であると言われます(学校側の発表では1.5万ドルから4万ドル)。しかしこれらの金額が相対的貧困率の貧困ラインを下回っているというのがTA側の主張です(カナダのオンタリオ州の給与平均は約7.5万ドル(日本円で約670万円)、貧困ラインは約2万ドル(日本円で約180万)です)。

日本人の感覚としては、博士課程であっても、学生の間に学費が差し引かれた上で、これだけの金額が支給されるなんて!とびっくりしてしまいますが、カナダでは、大学院生特に博士課程の学生は大学の教育を担い、大学の研究にも大きく寄与している存在として考えられ、当然の権利とされているようです。大学院で学ぶという意味合いが日本とはかなり違っているのです。

なお、オンタリオ州のお隣のケベック州では70年代に大学教育を無料にしようという動きがあり、現在でも、学部生を含む学生に学費や学校運営に関与する権利が与えられています。そのため3年に一度は、学生がストライキを行い、学費もオンタリオ州の約半額に抑えられています。

「権利」の意識は国民性によってかなり違うことを実感しました。カナダでは色々な組織でストライキが行われます。皆さんは、自分の「権利」にどのくらい敏感で、どのくらい主張をしますか。

私が今回のストライキに直面して考えさせられたことに、集団の暴力性と少数の声の排除があります。これについては次回お伝えしたいと思います。